昔の日本人は自我を強く持たなくてよかったかもしれない
人間はこう生きるべきだよね、
これが幸せってことだよね
みたいな暗黙の共通理想があってそれに合わせて生きていればよかった。
自分はこうしたいんだけど、、という少数の人の声は世間には届かず孤独に感じていたかもしれないが。
…そういう人のために本があったのかもしれない。
世界にはその違和感を感じている人がいると認識できる機会としての読書。
似た思想の著者とつながる感覚。
昭和、平成あたりは
周りに合わせて世の中の幸せみたいなものを自分も合わせてやっていれば
多分幸せっぽいみたいな状態で生きることができた。
かつてはメディアが人生ってこういうものですよ。これを買うためにお金を稼ぎましょう。子供を育てましょう。みたいに大勢の人の方向性を示していた。
しかし現代はあらゆる情報を目にして耳にする機会が多いため、共通理想のようなものがなくなった。
人生の舵取りが個人任せになっている。
これは個人の自由という点ではとても良いと言える。
これまで世間の普通に苦しめられて自分らしさを発揮できなかった人が日の目を見ることができるのだから。
自分で自分の人生を決められるというのは良い面も悪い面もある。
選択肢が多いほど良いように思えるかもしれないが、人間は選択肢が多いとストレスに感じる。
どれを選ぶのも自己責任
どの結果になろうとあなたが選んだんでしょと誰のせいにもできない。
すべて自分に返ってくる。これが怖くて人生の選択をとれないのではないか。
私も含め若い人たちは将来に対して不安を抱いている。
なにか決断をする前に頭で色々考える。考えると不安要素、リスクがあることがわかる。
リスクを考えてしまうと行動できなくなる。
本当に考えると読書などでどの選択肢にも良い点悪い点があってどの道にも正解はないと分かるので、自分のしたいように生きるのがいいと思える。
しかしここまで考える前に、ふと疑問に思い検索し、ネガティブな面を知り、ああこんなデメリットがあるんだ、じゃあこのリスクとらないでいいやと思う人も多い。
完璧に準備できないと行動できない。
昔は社会全体で生きる感覚があったから、なんとかなるだろう精神で生きてこられた。
今は個人主義の精神性が強くなってきて、人を頼ったり頼られたりしない。
自分とその他を分けて考える。
だから自分のことは自分でなんとかしないといけない。
その責任でいっぱいいっぱいなのに他人の面倒まで見れないと思う。
戦後のGHQの戦略で生活は欧米化している。
しかし日本人特有の精神性が欧米化に追いついていないような印象がある。
見た目、振る舞い、食生活は欧米化できても
先祖代々受け継がれてきた精神性は簡単に塗り替えることができない。
そのギャップが現代の苦しみの一つのようにも思える。