序章 ーjoshoー

料理レシピと書評

都市に住むこと

 

ここ数年で、不安感が強いなぁと自分の心に対して思うことが増えた。

何か具体的に問題が起きているわけではなくて自分の心持ち次第で世界が明るくなったり暗くなったりしている。画像のコントラストを編集している時のように。

不安な気持ちになるものとはどんなものがあるのだろう。

 

騒音

人混み

街の匂い

SNSやニュース

 

これらは問題としてドーンと目の前に現れるわけではなく、じわじわと心を曇らせていく。耳、鼻、目、口、肌から少しずつストレスを与えてくるのだ。

 

だから気付きにくい。なんとなく調子悪いな、でも病院に行くほどじゃないなと思ったり、行ったとしても特に診断がつかない。

 

これらの要因は自分でどうにかなるものではないし

ストレスを受ける私の性格がダメなわけでもない

なのである種の開き直りを手に入れよう。

元来不安を抱きやすい性質なのだ。

動物本能としての生存戦略なのかもしない。

危険な匂いを他より早く嗅ぎ分けて生き延びる。

 

外出している時はさまざまなところに目を配り神経を研ぎ澄ませ異変を察知している。それも無意識に。

 

それなら都会の買い物は疲れるよなぁ我ながら同情してしまう。

「内向型人間のすごい力」という本にもこう書かれている。

 

“人生の秘訣は、適正な明かりの中に自分を置くことだ。 ハリウッドのスポットライトがふさわしい人もいれば、机に置いたスタンドがふさわしい人もいる。”

 

植物にもそれぞれ合う環境があるように、人間にも人それぞれ合う環境があるのだろう。

 

少なくとも私は都会が肌に合わないようだ。

それが分かったことが人生における大きな収穫だ。

若い頃は田舎暮らしの良さが分からず、都会暮らしに憧れていた。

何かに憧れたり、やってみたいと思うことは早めにやった方がいい。 案外想像しているより大したことがないことが多い。さらに人は慣れるので最初は有り難く思っている環境も時間が経つと失ったものに目がいきやすくなる。

都会は効率がいい。時間とお金の観点で図るとコスパがいい。

でも人生は、生きるということは効率が悪くコスパの悪いものだと思っている。

効率よく生きる人生ってその人の幸せと関係あるのだろうか。

 

この世はわからないことが多い。

 

何もわからないまま死んでいく。

 

自分でどう折り合いをつけるかが重要そうだ。

現実は都会で暮らし便利な生活ができている。

その恩恵を受けていることに感謝しつつ、目に見えないストレスを受けていることにも注意する。

 

自分を労るために自然のある場所へでかける。

 

自然はいい。

 

自分が動物の人間であることを思い出させてくれる。人間は自然の一部であることを思い起こさせてくれる。都会の整備された道では経験することのない自然の脅威、命の危険を思い出させてくれる。

現代社会での人間と哺乳類としてのヒトを行ったり来たりすることでより人生を濃く生きることにつながると信じている。